あの時の天災も突然やってきました。
雪がチラつく今日と同じような日和の3月でした。
のんびりとした金曜日の午後に突然、
不気味なほど長い横揺れが札幌でも感じられました。
その時は何が起こったのかわかりませんでしたが、
日に日に事の大きさが分かってくると、
これからどうなるのだろうという不安で社会が包まれ、
街中の灯りが消え、
テレビCMは自粛され、
食料やトイレットペーパーを買い求める行列ができました。
まさに、パニックでした。
あの時は今回の疫病とは違い、
実際に生活用品を生産する工場が被災し、
物流とライフラインが寸断され、
放射能汚染という誰も経験したことのない事象が発生したため、
実際にモノが足りなくなりました。
そういう時にも、
胃瘻を使って家庭で生活を送られている方が、
たくさんいらっしゃいました。
口からごはんを食べることができず、
胃瘻からの経管栄養で栄養を摂っている方は、
通常は「ラコール」や「エンシュア」などの、
薬局から届けられる栄養剤を利用されています。
その栄養剤を作っている工場が、津波で被災してしまったのです。
全国的に、栄養剤の製造が止まってしまいました。
トイレットペーパーやお米ならばメーカーにこだわらず、
国外から緊急で輸入したりする方法もありますが、
薬事法で定められている処方せん薬は、
簡単に他のもので代用できるわけでもありません。
病院も、診療所も、薬局も、
栄養剤の卸業者さんも、そして患者さんのご家庭も、
みんな大混乱です。
血圧の薬やビタミン剤などならば、
とりあえず休薬してもよいかもしれませんが、
毎日の栄養となる薬ですから、
欠かすわけにはいきません。
何とか足りる分を重症の方に振り分けてもらいますが、
限界があるので、3日分をどうしようかなどという話になります。
栄養剤はしっかりと封をされて何か月も使用期限があります。
いつもの栄養剤を使わないで、
とりあえず手元にあるもので初めはしのいで、
日持ちのする栄養剤は後のためにとっておこうと、
一件ずつ患者さんとお話しをしました。
とりあえず手元にある牛乳に砂糖を混ぜてしのごうと決めました。
原発が爆発した、水曜日のことです。
先週の津波に続いて起こった事実をテレビ画面で目の当りにして、
日本中の社会不安が絶頂に達していた日です。
医学的に正しいかどうかよりも、
生活を続けられるかどうかを優先しました。
こんなことを患者さんに説明して良いのだろうかと、
もうすぐ開業4年目になる33歳の時でしたが、
自分でも不安にはなりました。
おばあちゃんの娘さんに、
1000mlの牛乳パックにスズラン白砂糖を溶かして、
それを3本ずつにコップに分けて、
一日分の栄養を冷蔵庫に保管してもらいます。
口から栄養剤を摂っていらっしゃる方には、
それにりんごをすりおろして混ぜてもらったり、
最近はあまり見ない「ミロ」を混ぜて、
味付けをしてもらいます。
ラコールコーヒー味の代わりのできあがりです。
牛乳と砂糖で出来上がった真っ白い手作りの栄養剤を、
いつもの栄養カップからチューブをつないで、胃の中に入れてみます。
詰まったり、栄養剤が変性してしまったりしないだろうか。
理屈では分かっていても、やはり不安にはなります。
幸いそれがトラブルになることはありませんでした。
確か2週間程度で生産が再開された記憶があります。
結局、牛乳の栄養剤を作ったのも、数日だけだった記憶があります。
どんなに先が見えずに不安であろうとも、
その気になってじっと堪えればなんとかなるものです
ひな祭りが過ぎると、みるみる春が近づいていきます。
初めは雪が積もり、冬の終わりも見えませんが、
半ばを過ぎると暖かい日差しがおうちの窓から差し込んできます。
桜が咲く知らせが届くようになり、
北海道でも雪が解けて土から福寿草が咲いて、
冬風邪の外来患者さんも少なくなっていきます。
春は必ず、やってきます。